ソーヌ河を北上し、ピエール・シーズ河岸 Quai de Pierre-Scize に出て、ラ・サラ La Sarra 歩道を登るとクロワルッスやヴェーズ Vaise を眺めることができます。
この高台にはかつてピエール・シーズ城があり、フランス王国と神聖ローマ帝国との境目に存在して、戦略的にも重要な役割を担っていました。
城塞はソーヌ河を50mほどの高さから見下ろせて、ソーヌ河がフルヴィエールの丘とクロワルッスとの間で膨らんでいる場所にありました。これらの建物群から離れて岩の上に建てられた高い円塔が主塔のかわりとなっていました。
ピエール・シーズ城へは丘の麓にあるピエール・シーズ門 Porte de Pierre Scize を通り200段以上ある岩を切り出した階段を登ります。
古代ローマ時代にソーヌ河の右岸部分に道を造るためにチューン岩場 Rocher de Thune から石を切り出していました。
この場所のことは Petra incisa が転じてシーズ岩 Pierre Scize と呼ばれていました。Pierreは「石」という意味です。この名前は著名なジャーナリストであるピエール・シーズのペンネームに使われました。
ピエール・シーズ河岸 Quai de Pierre-Scize の上方にあるクリュアス Cruas の石から作られた「岩の男」の像はリヨンで作家となったジャン・クレベルガーの侍従の肖像画をもとにしています。
この人物は生活に困窮した人々や嫁いでいく娘たちにお金を施すという善行で有名になりました。彼の行為は「お金が平らなのは重ねるのに好都合だから」と言って、商魂たくましいリヨン人を驚かせました。
さらにピエール・シーズ河岸をすすむと、国立校等音楽院 Conservatoire National Supérieur Musique et Danse が左手に見えてきます。
3 Quai Chauveau, 69009 Lyon, France
1762年にブールジュラ Bourgelat によって創設されたフランス最古の獣医学校の跡地に建てられました。その向かいにはグルニエ・ダボンダンス Greniers d’Abondance と呼ばれる建物で1722年から1728年にかけて造られました。当時12万人のリヨンの人口をまかなうための小麦が貯蔵されていました。1763年の小麦売買の自由化まではここが使われていましたが、その後は軍事施設や兵器庫として使われていました。
Direction régionale des affaires culturelles Auvergne Rhône-Alpes(現在は地域文化事業局)
Le Grenier d’Abondance, 6 Quai St Vincent, 69001 Lyon, France
下流にはレ・シュブしスタンス Les Subsistances があり、多様な文化発信スペースとなっています。17世紀に僧院として建てられ、19世紀には軍用に使われていました。